レッドオーシャンで見つけたブルーホール④
第四話 デイトレード開始
会社を辞めたくて辞めたくてしょうがなかったのは事実だが、転職を選ばずデイトレーダーの道を選んだのは単純に自信があったのだ。
それは、2011年本店営業部に移動してから、数字をクリアできれば何も言われないということを利用し、新規開拓で午前中は数字を確保し、午後からは自宅にこっそり戻りデイトレとして生活が出来るか板とチャートを見ながらデモトレードでシミュレーションをしていた。頭の中では、一日3万円くらいは稼げると確信していたので、20営業日で月60万円ほど稼げるという単純計算で、会社を辞めても稼ぐ自信があった。
貯金も200万円ほどしかなかったが、2012年7月30日の日本経済新聞の記事《証拠金規制、年内にも緩和 信用取引、売買当日の再利用解禁》が始まれば、小資金でも回転売買が出来る、前職の証券ディーラーと同じ感覚で株の売買が出来ると感じていたからである。
新聞には年内にも緩和と書かれていたが、本当に緩和が始まるのか不安であった。それでも、始めないと何も進まないと思い、退職を決めた。それから数日後の2012年10月11日、日本経済新聞で≪信用取引の証拠金規制、13年1月から緩和≫という見出しが。内容として、
東京証券取引所など全国の証券取引所は、個人投資家らが証券会社から株や資金を借りて売買する信用取引の規制を2013年1月1日付で緩和する。現在は取引の際、担保に差し出す証拠金は現金や株式を受け渡すまで再利用できないが、同じ担保を使って1日に何度も売買できるようになる。という記事だった。
「これで来年からは回転売買ができる。予定通り!!」と意気込んだ。
株取引で成功したいという想いから、生活資金はバイトで、株取引で使う200万円は証券口座に入れて生活費として一切手を付けないと決めた。
バイト先として、ラーメン屋に決めた。決めた理由は、株取引が15時に終わってから、復習をして、ブログを書いてから働ける時間を考えて、17時半から深夜1時まで働ける場所で家から近いからという理由だ。総大醤というラーメン屋で、後に知るが、大阪では有名なラーメン屋だった。
2012年11月6日、約25万円をかけてトレード環境が完成。痛い出費だった。
楽天証券、クリック証券、マネックス証券、岡三証券で口座開設し、株取引を開始していく。
2012年11月12日から株ブログ『ヤーマンの株日記』を毎日更新。
2012年11月は証券会社の取引手数料、金利、税金を引いた手取り額として232,362円のプラスで終わった。
12月に入り、ブログと並行してTwitterも開始。その当時はフォロワー0だったので誰からもイイネがなかったが呟いていく。
生活リズムとしては、朝8時に起きて、その日取引する銘柄を調べて、9時から取引開始。15時に株取引が終わり、その日のトレードの復習として思い返しながら株のブログを書く。ブログを書き終えて株取引をして疲労困憊のあとに17時からラーメン屋に行く。17時半からバイトが始まり、「いらっしゃいませ!」という掛け声がストレス発散になりながら、深夜1時までバイトをする。その賄いのラーメンが今でも忘れない。一日の終わりの、あの美味しい総大醤の濃い口醤油ラーメン。「人生で一番おいしいラーメンは?」と聞かれれば必ず総大醤と答える。毎日食べても飽きず、今でも通っているほど。日本で一番美味しいと思う醤油ラーメンだ。
平日は毎日株取引でその後バイト。土日もどっちかはバイトに入る。そんな生活も僕には苦ではなかった。
取引を開始してから2ヶ月目の2012年12月の株取引で、手数料、金利、税引き後に残った利益は211,701円となった。
そして2013年、僕のアベノミクスというバブルがはじまる。