レッドオーシャンで見つけたブルーホール⑥
第六話 上海視察
2013年8月、9月、10月と利益を出していくうちに、このままでいいのかという感情が芽生え始めた。もしまた信用取引の規制緩和が以前の状態に戻り、回転売買が出来なくなったらどうなるだろう。もし税率が引き上げられたら、デイトレーダーとして生き残っていけるのだろうか。(この時はまだ知らないのだが、2014年に実際に税率10%から税率20%に変更になることになる。)そもそも毎日パソコンと向き合い、人と接すると言えばバイトくらいの数字を追いかけるだけの人生でいいのか。人と何かを作り上げるやりがいも必要なのではないのか。
「そうだ!デイトレード一本ではなく、何か事業を始めよう!」
この日を境に日に日に事業をしたいという想いは強まっていった。
「でも事業と言っても何をすればいいんだ・・・」
証券業界以外、全く知識のなかった僕は途方に暮れていた。
2013年10月下旬ここで転機が訪れる。いつも通っている美容室の担当田中さん(仮名)と世間話をしている時だった。
僕「美容室ってどうなんですか?事業として大変ですかね?」
田中さん「そうですね。今どこにでも美容室はあるので、独立した先輩とかも厳しそうですけどね。」
僕「そうなんですね。ちなみに海外はどうなんですかね?日本の技術を持ち込み、日本の美容室としてオープンさせるというのは?」
田中さんと話しているうちに、僕の中でずっとぼんやりとしていた事業の輪郭が掴めそうな気がした。
田中さん「うーん、僕も良く分かりませんが、でもそれ凄く面白そうですね!」
僕「ちょっとどんな感じか、一緒に海外に行って見てみませんか?」
田中さん「面白そうですね!」
本職の田中さんがノッてくれたことで、僕が閃いた事業に対し俄然自信が湧いてきた。ここから僕は、畳みかけるように話しを進めた。
僕「でも、海外と言ってもどこですかね?う~ん・・・。上海ですかね!上海!来月どうですか?」
田中さん「急ですね!(笑)」
僕「来月行きましょうよ!楽しそうじゃないですか?Peachの格安チケットなら安いですよ!いつ空いていますか!?」
田中さん「後半でしたら空いていますから行ってみましょうか!」
田中さんは屈託のない笑顔で、強引な僕の誘いに応えてくれた。
扉は強引にでもノックしなければ、開かないのである。
早速僕は家に戻るなり、上海でビジネスを始めるにはどうすればいいかをインターネットで調べた。すると大阪と上海が友好関係を結んでいるということ、大阪政府上海事務所なるものが大阪にあり、その中にある「中国ビジネス相談室」では、法律・税務・投資・物流・労務管理、仲裁等の専門家を紹介し、無料相談の機会を提供してくれていた。このビジネス支援をを活用し、上海に店を構える日系美容室のオーナーさんを何名かと不動産会社を紹介してもらった。
あれは忘れもしない、上海に旅立つ前日の株取引で僕はドワンゴの空売りにより約600万円を一日でやられてしまい、気が動転しながら次の日に格安航空券で上海に向かった。「600万円もやられているのに、格安航空券で数千円の節約なんて・・・」とぶつくさ文句を言っていたのを覚えている。
上海1日目は日本人オーナーAさんの経営する美容室を見学し、気さくなAさんに夜ご飯まで誘ってもらい、上海の美容室事情を聞いた。その後は朝の4時までAさんに連れられ、ディープな上海を堪能した。2日目の午前中は上海の物件を現地の不動産会社と見て歩き、日本人オーナーBさんが経営する店舗の見学もした。午後からも引き続き、不動産会社が紹介してくれた物件を見て回った。夜は昼間にお会いしたBさんに連絡を取ってみることにした。
「もし夜にお時間ありましたら、ご一緒にご飯いかがでしょうか?」と都合を伺ったところ、「いいよ!行こうか!」と二つ返事で、上海でのビジネスの大変さ、これからのビジネス展開を聞くことができた。この日も朝の4時くらいまで飲み歩き上海の夜を満喫した僕は、上海ってなんて楽しい街なんだと感銘をうけた。3日目も不動産会社に紹介された物件を見て回った。結論から言うと、上海での美容室出店はリスクが高いことが分かった。まず、美容室を出店する際は認可が必要になり、日本人では中々通りにくく現地の人を入れないと厳しい事が一つ。もう一つは開業費用よりも撤退費用が莫大になることを聞いた。上海における美容室出店リスクの大きさについて身をもって知り、「そんなに甘くないですよね。」と田中さんと二人で苦笑いをした。
そもそも美容室についての知識が0だった僕は、ノリで上海の美容室を見に行ったが、日本で美容室を開業するにしても美容室という事業について全く知らないのではラチがあかないと思い、2013年12月から毎月3回のペースで大阪にある美容室に通いまくることにした。その間も株取引は毎日続けていたが、取引に集中できずに全敗していた。2013年11月18日~12月6日までの間で8,088,415円ものマイナスを出すことになった。精神的に物凄く厳しかったが(その時の心情はヤーマンの株日記に記載)それでもメンタルがブレないように、モニターを1枚増やしてトレード環境を強化し取引を続けた。
2013年の年間利益は、手数料、金利、税引き後の手取り金額21,887,650円を残すことが出来た。
そして僕は美容業界を知る為バイトを辞めた。